卒園生だより

卒園生からのメッセージ

毎年卒転園された方やその保護者に今まで過ごされてきた体験談をお話していただいています。今年は高校生になる方の保護者にいろいろ話して頂きました。2012年に進太郎くん生い立ちをまとめられた月刊誌の記事を紹介させていただきます。

「この子と歩む」

田中 典子


気がつけば・・・いっしょにいるとこんなに幸せ。

進くん ありがとね

 

 その夜、目が覚めました。いつも寝ている真夜中の部屋で、背中の布団がどこまでもズブズブ…と、下へ下へと沈んでいきます。今までたった一度だけの不思議な感覚でした。4歳半の進太郎が療育をはじめて2年半をすぎ、正式に「高機能自閉症」と診断された日のことです。「高機能」=「軽度」の自閉症という解釈などとんでもない、幼少期の進太郎との必死の毎日でした。

 

 進太郎は1996年5月に産まれました。2歳ころから発語のおくれや多動が顕著になり、もしも外出中に手を離したら、一生再会できなくなるか、即車にひかれて命を落とすしかないと、まだ幼稚園児だった4歳上の姉・晴菜もいっしょに、どこへ行っても家族みんなで進太郎をひたすら追いかけ続けました。毎晩、夜中2時半頃に目を覚まして私をテレビの前に引っぱって行き、大好きなビデオを2時間ほど見てから朝方にようやく眠りにつく時期がしばらく続きました。偏食も激しくなり、どれだけ工夫してみても、特定のパンとジュースと牛乳しか口にしない時期が1年半ほど続きました。

 生きるために大切なことを進太郎にたくさん伝えたい。そして進は私に何を分かってほしいの? きっと進太郎にとっても、つらく苦しい幼児期でした。

 保育所の3年間では集団生活の基礎づくりをしていただき、小学校では適応力がついたようにみえた反面、低学年時代はストレス性のじんましんに悩まされました。その時期は試行錯誤の連続ですごしながら、やがて迎える思春期に向けて母親として大きな不安や緊張がありました。自分を心から大切に思う気持ちを自然に育める環境と経験を与えてやりたい。周囲に理解されにくい息子の行動、その中に詰まっている本当の気持ちを少しでも受け入れられる形にして表現する力を日々の生活の中でつけていくこと。そして毎日元気でいてくれること。誰かと見比べてではなく、努力してみたり、思いを一生懸命伝えようとがんばったりする進太郎自身の存在がすてき。すばらしい家の宝なんだよ。それを何より大切なこととして体当たりで伝えたい。ゆっくりとでも、この子の心に「愛されている、自分は大切な存在」、そんな思いが根づいてくれるようにと願ってきました。

 

 

心の栄養たっぷりの毎日

 

 8歳のころ、私が「進くん、ママが進くんのこと好きって知ってた、知らんかった?」と聞くと「知ってた!」。「正解! ほんならママは進くんのことどれくらい好きでしょうか」。するととても穏やかな顔で「い~っぱい!」とニコニコしています。2、3歳のころはことばもなく、気に添わないことが起こるとすごい力で私の髪の毛を根元からつかみ、床に額を押し付けられ動けませんでした。進の思いをわかりたい、でもお互いに何も伝わらない。歯がゆさと大変さで命からがらの毎日でした。でも今は私の愛情を感じとるまでに育ってくれている。進太郎の笑顔を見て本当に幸せな気持ちになりました。

 そんな成長の陰には、先生方はもちろん、まわりの子どもたちやママ友だちの頼もしく温かい支えがありました。ことばにつくせない愛情をたくさんの人からいただいて親子ともに育つことのできた小学校時代。卒業を迎え、大切な地域のみんなと離れることはとても迷いましたが、晴菜も後押ししてくれ、3年越しで見学を重ねてきた奈良教育大学付属中学校特別支援学級(5組)への進学を決め、東大阪市へ転居することになりました。

 5組では、すばらしい環境とカリキュラムを土台に、感情をしっかりやりとりしながら向き合える同級生に恵まれました。文化の集いでの劇の取り組みや、目標を決めて練習を積み上げていくマラソン大会、なわとび大会。子どもたちのがんばる姿に保護者も感銘を受けます。マラソンのタイムや縄跳びの難易度に関係なく、達成感に満ちた自分、あと少しのところまで上達してきた自分、難しい、しんどい、恥ずかしい、さまざまな後ろ向きの気持ちに包まれながらも、やってみるぞ!と挑戦できた自分。どんな過程にも、子どもたちが心から胸を張り、誇らしい値打ちある自分の姿を見つけ、先生方を信頼し、仲間たちと切磋琢磨する姿があります。5組での心の栄養たっぷりの毎日が進太郎にとっては大きな財産です。

 

 

“しんくんらしく”でいいんだな!

 

 転居して、入学間もない2009年6月、突然私に乳がんが見つかりました。早期発見だったので、入院、手術、放射線治療などを経て、現在は仕事も続けながらふだんの生活を送ることができています。しかし5年間のホルモン治療は考えていたより手強く、薬の副作用に悪戦苦闘しています。そんな中で進太郎は毎日、お風呂の準備、シンクまでピカピカの食器洗い、洗濯物たたみなど張り切って家事サポートを引き受けてくれます。

 この間は、夕飯作りの最中に「宿題を教えて」と台所に居すわる進太郎に対して、治療を受けた日で体調の悪かった私はイライラした態度で応じてしまいました。滅多にないことに進太郎はショックを受け、「僕はお母さんをしんどくさせてしまって、ほんとにごめん」としょんぼりした顔で何度も謝ります。それを見て私は猛反省。進太郎にもわかるような表現で、自分の体の状態を説明しました。「進ががんばっていたのに怒ってごめんね」と何回も謝っていると進太郎がこんなことばをくれたのです。「もう言わなくていいよ…苦労してるんだな」。いっぺんに心がほどけていきました。進太郎はきっと私を助けるためにここに産まれてきてくれたんだ。涙が出ました。

 大学時代のサッカー部員とマネージャーの間柄で知り合った私たち夫婦は、「将来、男の子が産まれたらW杯で活躍している姿を二人で応援にいく」と夢見ていました。療育を始めたころは、「将来就学して普通学級に入れるのか」と、今思うとどうでもいいことを心配していたと懐かしくさえ思いますが、そんな葛藤もくり返しながら小学校に上がった頃から心に温めている目標は、「大人になり、自分とともにある自閉症という障害のことも理解したうえで、自分なりの生活を始めている進太郎から『僕は産まれてきてよかった』ということばを聞ける日を迎える」ということです。

 最近の進太郎は、私が「今日もいっぱいお手伝いしてくれてありがとね」と喜んでいると「僕を産んでほ~んまによかった!ていう感じ?」と自信満々の顔で聞いてきます。テストや課題の前、「百点じゃなくてもいいのかな?」と心配そうに問いかけてくる進太郎を「しんが一生懸命やった結果なら何点でも大丈夫!」と励ますと「そうか。“しんくんらしく”でいいんだな!」。そんなとき、「やった!今日まで進を育ててきてなんて幸せなんやろ!」という気持ちでいっぱいになります。

 進くんありがとね。毎日元気で楽しく、なにより進くんらしく、自分を好きで、まわりの人たちを信頼して、「産まれてきてよかったなぁ」と進太郎なりに“幸せ”ってどんな気持ちなのか知ることのできる人生になりますように。お母さんも、晴菜と進とお父さんといつまでも元気にいられるようにがんばるよ!

 

 「月刊誌みんなのねがい 2012年4月号より」